令和2年5月28日

 5月 28 日のゼミにおいて早稲田大学法学部を卒業後、毎日新聞でご活躍され、現在は植草学園大客員教授をお務めになられている野澤和弘様のお話を伺った。また、6 月 19 日には再度時間を頂き、有志のゼミ生の疑問等を解決して頂いた。私は両方に参加したのでその中で抱いた感想を述べさせて頂きたいと思う。

 「仮に出生前診断で染色体異常が確認された場合に、自分はパートナーと産み育てるという決断をする自信がない。普段どんなに障害のある方に親切にしていようと、こう思ってしまうのなら優しくない、深いやさしさを持てていないのではないかと罪悪感を覚えてしまう。どう考えればいいのでしょうか。」という疑問をお尋ねしたところ、障害を抱えるお子さんの父親でもある野澤様は「私が今その立場になっても悩むと思う。自信を持って産み育てるという決断は出来ない。社会の在り方に課題があるのではないか。」とお答えしてくださった。親として、障害を持つ自分の子が他人にどのような目で見られるのか、社会に出てどのような時間を過ごすのかを考えるとやはり良い事ばかりが浮かんでくる訳ではない。

 公共施設、公共機関で障害のある方を怪訝な目で見たり、心無い言葉を浴びせるような方も少なからずいると思う。バリアフリー推進等、社会のハード面における生きやすさは改善されてきていると思うのだが、同様にソフト面における生きやすさも追求されるべきだと考える。ソフト面での生きやすさというのは個々人の他者に対する接し方によって変わってくると思う。以前、駅で障害理解に関する啓発ポスターを目にした。電車内で大声を出したり、動き回ったりという行動を取る方を見た経験が多くの人にあると思う。私はもとからそのような言動を気に留めないタイプではあったと思うが、上記ポスターを見てそのような言動の背景等に関する知識を得てから気に留めない傾向は強くなったと思う。野澤様は「科学と芸術が障害者の住みやすい社会に貢献するかもしれない。」とおっしゃっていたが、まさに前者はこのポスターのようなことを言うのかもしれないと感じた。

 私はすでに就職活動を終え、進路も決定している。高校の同級生の中には厚生労働省で福祉に携わり、社会に貢献したいという強い意志を持って働き始めた友人もいる。自分の進路に不満を抱いているわけではないが、「社会のため」ということを考えると最良の選択だったのかどうかは分からない。ただ、野澤さんのお話を伺って、どんな仕事に就こうと様々な形で社会に貢献することは出来ると感じた。社会のソフト面における生きやすさのため、自分が何を出来るのかを模索し、行動し続けていきたいと感じた。そして、いつか出生前診断で染色体異常が発見されても、「生きやすさ」については懸念しなくとも済むようなそんな社会が訪れてほしいと思う。
 
 最後になりましたが、野澤様にはお忙しい中、ゼミと後日の集まりにおいて大変勉強になるお話をして頂きました。ありがとうございました。
(https://www.city.yokohama.lg.jp/konan/kurashi/fukushi_kaigo/fukushi/torikumi/keiha tsuposter.html 上記ポスター)

4年 石川 拓実