令和2年11月12日
 
 先日は、牧師、認定NPO法人「抱樸」理事長、公益財団法人共生地域創造財団代表理事など、様々なご活躍をされている奥田知志様にお話を伺いました。奥田様が理事長を務めるNPO法人「抱樸」は1988年から福岡県北九州市を拠点として、炊き出しや住居提供等生活困窮者に対する包括的な支援を行なっています。抱樸による居住支援を受けて家に住めるようになった人数は3400人を超えており、現在も約2000人の困窮者に対し継続的なサポートをしておられます。奥田様は抱樸における32年の活動を通して路上で生活をするホームレスの数は減ったけれど、「ネットカフェ難民」に象徴されるような、見えない貧困は社会の中で増えてきているとおっしゃっていました。社会的孤立の調査によると、「家族以外の人」と交流のない人の割合が日本は米国の5倍も多く、また、英国と対比すると人口は約2倍多いにもかかわらず孤立率は約3倍である等、金銭的余裕もなければ友達もいない、という人がいかに現在の日本に多く存在しているかということを理解しました。このような状態に陥っている背景には、自己責任論と家族の役割ばかりが声高に叫ばれる現在の日本社会の風潮があります。奥田様のお話を聴いて、本当に困ったときに頼れる他者がいないという社会的な孤立を抱える「家のあるホームレス」への支援の必要性に気づくことができました。また、全国的に新型コロナウイルスが猛威をふるう現在、社会的孤立のリスクは更に増大していると言うことができ、「家のあるホームレス」問題は学生である自分たちにとっても決して他人事ではないと痛感しました。

 私自身、菊池ゼミで社会保障について学んでいくうちに、将来は社会的に弱い立場の人に寄り添って、少しでもその人に役に立つことができるような仕事がしたい、という思いを強めていきました。その一方で自分の内に、「障がい者や認知症患者など社会的に弱い人々に寄り添いたいという自分の気持ちはどこからくるのだろう、彼らと共に生きる意味とは何なのだろう」というような問いを持たずにはいられませんでした。今回の奥田様のお話の文脈でいえば、「なぜ困窮者を支援するのか」という問いになるかと思います。そもそもこのような問いを立てること自体、私にも自己責任論的な考えがどこかにあるのだと思います。その上で自分なりに答えようとするなら、「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」(「創世記」2章18節)と聖書にあるように、人間は一人で生きていくことができないからだと思います。奥田様は「自分のためだけに生きると1人分のエネルギーしか出ないけれど、他の人のために生きるとその分多くのエネルギーが出る」というお話をされましたが、この言葉によって、私は自分の中に一筋の大きな光が差したように感じます。

 最後になりますが、大変お忙しい中、お時間を割いてご講演して頂いた奥田様に心から感謝申し上げます。今後益々のご活躍をお祈り致しております。本当にありがとうございました。

3年 白川慎太郎