菊池ゼミ 2022年度福島遠征2日目 感想               文:宮垣文緒

○特別養護老人ホーム梅の香 
特別養護老人ホーム梅の香は平成16年に社会福祉法人南相馬福祉会によって設立された小規模生活単位型の施設です。平成23年3月11日に発生した東日本大震災並びに東京電力福島第一原子力発電所事故により「梅の香」が立地する小高区は警戒区域に指定され、全利用者が県外に避難となり、施設は一時休止となりましたが、7年後地域密着型介護老人福祉施設入居者生活介護事務所として再開しました。今回、鹿山奈美施設長に震災からの復興に関するお話を伺い、その後施設内を見学させて頂きました。

 震災・原発事故による梅の香への被害は甚大なものでした。利用者、職員に怪我はなかったものの、照明器具の落下や備品散乱等に加え、津波の恐れから全員が避難を余儀なくされました。さらに、原発事故により、警戒区域に指定されたため、施設復興への足取りは重くなってしまいました。この時、南相馬市が、避難指示なし・緊急時非難準備区域・警戒区域と3つに分断されてしまったため、行政の対応も困難になっていたようです。また、人、動物の施設への侵入や、風評被害によって物資が届かないこともあり、施設修繕作業も進まなくなってしまいました。その様な状況下で、「老健リハビリよこはま」から全員を受け入れるとの連絡を貰い、利用者229名は横浜へ避難したそうです。
 平成23年4月、施設再開に向け福島市に「法人本部仮事務所」が開設されました。その後、平成28年に小高区の避難指示が解除され、地域のニーズに応じるため梅の香は再開されました。
 現在の梅の香の課題として、介護従事者の確保、高齢化、入居施設の待機数等が挙げられます。小高区には人口の3割しか人が戻らず、さらに若者は戻ってこないとおっしゃっていました。さらに、梅の香には現在200名が入居待機されているそうです。
 この課題を解決するため、梅の香では地元、県外、海外から人材を確保し、地域の高齢者も呼び込み、人材育成にも力を入れています。さらに業務を効率化するために技術の導入や更新も行っているとのことでした。

 東日本大震災・原発事故の被害は、ニュースが新聞等だけでは伝わりきらないと思いました。例えば、「避難をする」という字面だけではその実態は分からず、避難をするときに、寒かったけれど車椅子で坂を登った、エアコンが使えず体調を崩した、11時間バスに乗らなければならなかった等の過酷な実態は現場に伺い、話を聞くことでしか分からないと感じました。このような甚大な被害を受けても、利用者のために、地域のためにと復興のために尽力された鹿山奈美施設長をはじめとする職員の方の志は素晴らしいと感じました。
 現在も、人口減少、高齢化、介護従事者の確保等の課題解決に向けて、地域と密着された取組みをされているようで、小高区地域活性化へと繋がるのではないかと思います。
 
 
○NPO法人Jin 
NPO法人Jinは「仁」の心に基づいて事業を行い、地域で生活している児童、障害者、高齢者等の保健、医療、社会教育、福祉等の増進を図る活動を通して、一人ひとりが豊かに、輝きながら生活を営むことができるよう寄与することを目的とする法人です。東日本大震災前は、浪江町で野菜の栽培、デイサービスの運営を行っていました。福島第一原子力発電所の事故により避難を強いられた浪江町ですが、Jinでは避難指示解除直後から、町で花卉栽培に取り組まれ、地域の活性化を目的として活動されています。今回、川村博さんにお話を伺い、その後花卉栽培をされている現場を見学させて頂きました。
 
 東日本大震災前、Jinは高齢者・障害者のデイサービス、リハビリ施設等の運営と、無農薬・無肥料での野菜栽培、家畜の飼育をされていました。震災時は、困っている人全員を対象とするサポートセンターのような役割を努められていました。当時支援物資が届かないこと、施設単位での避難の難しさなどの問題に直面されていたそうです。そのような状況でも、川村さんはこれからの浪江町の復興を見据えて、何が出来るのかを考えられていたそうです。
平成25年4月、Jinの事業所があった浪江町幾世橋地区が避難指示解除準備区域に再編され、日中の立ち入りが可能になったことから、Jinはサラダ農園を始められたそうですが、野菜から基準値を上回るセシウムが検出され、出荷することができませんでした。そこで、平成26年から出荷制限のない花卉栽培(トルコキキョウとリンドウ)を始められました。川村さんは花卉栽培を始められた理由について、浪江町に何か社会資源を残したい、人口が少ない中でもできる農業がその手段であり、同時に高齢者・障害者への雇用を増やすことも出来るためとおっしゃっていました。その後、努力を続けられた結果、Jinが生産するトルコキキョウは市場で次第に高く評価されるようになり、高値で取引されるようになりました。花卉栽培は軌道に乗りましたが、川村さんはもっと先の浪江町の未来を考えられていました。10年後、20年後の浪江町を考えたとき、Iターン、Uターンで若者に来てもらうことが必要とおっしゃっており、平成29年浪江町の一部地域の避難指示が解除された後、若者と農業のワークショップなどの活動を始められ、現在では浪江町で花農家を目指されている方もいらっしゃるそうです。川村さんをはじめとするNPO法人Jinは「花を通じて浪江町を豊かに」することを目標としてこれからも活動されていくそうです。

今回、震災後からの活動を主にお話を伺いましたが、震災・原発事故の被害に苦しむ中でも地域の復興に向けて活動されていた方がいらっしゃったことに感動しました。震災後、サラダ農園からの野菜出荷は叶わないという困難にあたっても、何か浪江町のためになるようなことをしたい、貢献したいという思いから新たな事業を始められる姿に、地域に対する強い思いがあるからこそ、成し遂げられることがあるのだと感銘を受けました。人口減少、高齢化に直面する日本において地域活性化は不可欠だと考えます。NPO法人Jinさんのように、まずは地域を愛する心が大切であると感じました。
 

○ふれあいセンターなみえ 
 「ふれあいセンターなみえ」は「ふれあい福祉センター」、「ふれあい交流センター」、「ふれあいげんきパーク」、「ふれあいグラウンド」の4施設を複合した施設で、町民の方が交流できる場として整備されました。浪江町の新たなシンボルとして今年の6月にオープンしました。今回は、浪江町福祉協議会事務局次長の山田陽宏さんにお話を伺い、各施設を漢学しました。

福祉センターでは、要介護・要支援の認定を受けている人へのデイサービスや見学、介護に関する相談ができ、交流センターでは会議室、和室、調理室、図書コーナー等があり幅広い用途に対応できるそうです。げんきパークでは乳幼児から小学生までが遊べる遊具、小学生以上が利用できるボルダリングコーナー等があり、実際に子供たちが遊んでいる様子が見学できました。また、野球やサッカー等屋外競技に幅広く対応したグラウンドも完備されていました。
 今回、ふれあい福祉センターとふれあいげんきパークを主に見学させて頂いたのですが、どちらの施設も地域住民のニーズに合わせた設計となっていました。また、交流センターでは事業の事務所として活用する案も進んでいるとのことです。山田さんは、町の高齢化が進んでいるため、介護体制の強化のような高齢者にとって住み良く、自立して住んでいける街づくりが先行して進んでいるが、長期的に見れば若者が住み良い街を作ることが必要であると考えておられました。さらに、地域包括ケアシステム構築の上、地域住民皆で支えていく体制を整備することも不可欠であるとおっしゃっていました。
令和5年3月頃の3月頃の特定復興再生拠点区域の避難指示解除を目指している浪江町では、この施設が「心身健康な人たちで溢れる街づくり」の拠点として、町民の健康増進や地域活性化に活用されることが期待されています。

 浪江町は震災、原発事故の後、避難区域に指定され、町の復興に時間がかかっていますが、「ふれあいセンター浪江」のように町民の生活を支え、地域の活性化へと繋がる施設がオープンしたことの意義は大きいと思います。震災後町全体の人口が戻らないこと、加速する高齢化という問題を抱えながらも地域住民皆で町づくり支えていくような仕組みは重要だと感じました。そしてその仕組みを強固にしていくために今回の施設の設立等行政の支えが基盤となることが求められるとも考えました。

最後になりましたが今回協力して下さった方々に感謝申し上げます。貴重な経験をさせていただきまして誠にありがとうございました。