2017.07.19
【課外活動】3年生福島合宿レポート
【1日目】
浪江町役場
福島合宿初日、私達は浪江町役場の大浦龍爾農政係長と佐藤貴徳介護係長にお話を伺いました。
浪江町は今年4月に避難指示が解除されましたが、震災前居住していた約21000人のうち、現在193人しか戻ってきていません。さらに、震災当時の調査では、避難していた住民の約70%が浪江町に戻りたいと答えていましたが、現在は17パーセントに減少しています。こうした現状は、震災から6年が経過し、避難場所での生活が定着していることの表れだそうです。大浦さんご本人も、震災後家族は宮城県に避難し、現在も年に数回しか会えないという生活を送っていらっしゃいます。町に戻りたいと思う町民がいない中で地方自治に取り組むことへの葛藤を話されていました。現在の町の生活環境の整備も進んでおらず、役場の南側にある商店街で食事を提供しており、町にコンビニは2つしかありません。医療については、診療所は役場の隣にある1つのみで、1年契約で医師がようやく見つかったという状況です。町の復興において“人材不足”が大きな課題となっています。若い現役の世代が戻ってくるような町づくりのために、色々な企業と連携して働く場を作っていくことでサービスの拡充を図り、復興を進めていきたいと話されていました。
大浦さんご本人は、震災後家族が宮城県に避難し、現在でも年に数回しか会えないという生活を送っていらっしゃいます。浪江町での生活は、ご自宅の半径1㎞以内に誰も住んでおらず、生活環境も整っていないため“不便”ではあるが、それは「自分がどう思うかである」、「あれほど大きな地震で『死なないでいてよかった』とポジティブにとらえるようにしている。」、さらに、「震災後6年間で地方自治体レベルをはるかに超える業務をこなすことで人間的にも成長でき、今となっては震災があってよかったと思っている」と話されていました。
また、浪江町の介護状況について、佐藤さんは、介護認定者数は震災後毎年増えている状況があり、これは震災の影響で心身ともに疲弊している人が多いことの表れだと話されていました。要介護認定者は4人に1人の割合で、全国の地方自治体のうち21位だそうです。デイサービスや訪問介護は一部が再開し、他の団体により運営されているという状況です。認知症介護施設などのその他介護施設に関しては、町内での再開は未定だそうです。
こうした現状も、避難場所での事業が再開に伴い、生活が定着し、町民が町に戻ってこないという“人材不足”が原因であると話されていました。
浪江町での介護サービス拡充のために、法人の確保、人材の確保が必要であり、法人の確保に関してはインセンティブを確保したうえで積極的な企業誘致を行うこと、さらに企業の経営支援を行うことが必要であると話されていました。また、人材の確保に関しては人件費を国に依頼して報酬を1.5倍にするなどの仕組みが必要であり、高齢者が多い場所では、高齢者童子が支え合う仕組みを作ることが重要であると話されていました。これらを含め、町だけでの復興は困難なため、被災した近隣自治体との広域連携を行い、特養の設置や活用を進めていくために色々と活動していきたいと話されていました。
以上がお二人のお話の概要となります。その後、質疑応答の時間を設けて頂きました。
お二人のお話を聞き、浪江町での人材不足の課題の重大さが伝わってきました。避難指示が解除されても、人がいないからには事業再開も困難で、生活環境の整備が進まないという現状。震災前に浪江町に住んでいた方のみならず、他の地域からも若い世代が就職等で浪江町に住む人を増やすためには、やはり広域連携によって生活環境を整備し、働く場所を提供し、浪江町で働く事のインセンティブを強化し、発信していくことが欠かせないということなど、とても考えさせられました。問題解決のために私にできることは何か、その明確な答えは出ませんが、見聞きした浪江町の現状を身近な人に伝えていくといった小さなことから始めていきたいと思います。また、自分の生活を犠牲にしてでも町民のために活動する方々の姿に胸を打たれるとともに、地方公務員のあるべき姿を目の当たりにして、自分自身も地方公務員を目指す身として、明確な理想像が見えてきた気がします。
最後になりましたが、お忙しい中貴重なお話をしてくださった大浦さん、佐藤さんにこの場を借りて心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
3年 伊藤奈央
特別養護老人ホームリリー園
私たちは福島合宿一日目の最後に社会福祉法人が運営している特別養護老人ホームのリリー園にお邪魔した。訪問前に浪江町と富岡町にも立ち寄ったが、この施設がある楢葉町には営業している商業施設等が二つの町に比べると多少見受けられ、私は生活の気配を感じることができた。
施設に入ると会議室に通され、施設長の永山さんから被災直後の状況から現在のリリー園の状況をお聞きすることができた。最初にお話しされたのは福島第一原発の事故発生直後のことだった。当時、町に避難指示が出されると同時に、多くの住民がすぐに避難した。一方で永山さんと職員の方々は入居者を移動させることの困難からリリー園に留まることを選択し、二週間に渡って介護を続けた後、ようやく県内避難をされたということだった。その二週間、入居者と家族の間に板挟みになった職員の胸に様々な葛藤が沸き起こったであろうことは私にも容易に想像することができた。県内避難をしている数年間、永山さんはこのままいわき市で事業を再開することも検討されたそうだが、最期は故郷で暮らしたいと望む要介護者のために結局リリー園の再開を決断なされたということだった。自分たちの事情よりも住民のことや地域を優先して考え、復興の担い手となる。私は被災地でこのような人たちに多く会ったように思う。
そうして五年の月日を経て再開したリリー園だが、現在危機的状況を迎えている。それは介護職員不足から発生する毎年の経営赤字だ。震災前のリリー園は職員35人で長期入居者80人の介護をすることでなんとか経営を成り立たせていた。しかし現在は震災前から働いていた5人、新しく雇用した12人、合わせて職員17名で長期入居者22人の対応をしている。本来、職員が17人いれば現在の1ユニットではなく2ユニット稼働ができるが、夜勤対応できる職員の不足から実施できていない。社会福祉法人は施設をフル活用して収支を確保する前提で運営されているため、結果として半分の機能も発揮できていないリリー園は再開から毎年一億円を超える赤字決済を出している。現在は東京電力からの損害賠償金[i]で赤字を補っているが、ついに今年でその半分を使い切ってしまった。経営的には事業から撤退することも考えられるが、リリー園だけでも入所待機者が二十数名いることを考えるとニーズ自体はあり、見捨てることはできない。そのためなんとかしてリリー園の運営を続けたい、そう永山さんはおっしゃっていた。厳しい状況の中、リリー園は赤字経営からの脱却に向け、①新しい職員の募集と②現役職員のノウハウ養成に力を入れている。これらの策によって受け入れ態勢を整えて増収を狙うが、残念ながら①の新規雇用はうまくいっていないというのが実情だ。現在、福島県では県外の介護に興味をある人または現役の介護職員を呼び込むために、就職準備金の貸付事業が行われている。この貸付金は就業して一年間経てば返還免除となり、利用者にとって条件を満たしやすいことから一定程度の人材確保の効果が出ている。しかし一年で離職してしまう人もおり、その人に対する教育指導のコスト等の面から考えると必ずしもプラス要素ばかりではない。永山さんはこの現状を踏まえて行政に制度の改善[ii]を訴えているとのことだ。また行政の制度だけに頼らずに、リリー園も独自に人材確保のために動いており、特別手当を出して待遇をよくすることで他の施設と差別化を図っている。他方で永山さんは元職員の再雇用も目指しているそうだが、施設再開までの五年という月日の経過は職員が生活基盤を他に移すには十分で呼び戻すことは難航しているとのことだ。
私が福島合宿で一番聞いた言葉は「人手不足」だ。特に支える側(若い人)が足りないことはどこでも共通していることだった。リリー園もその例外ではなく、職員不足が深刻である。そもそも介護業界自体で人手不足が深刻化しており、有効求人倍率も平均よりかなり高い推移を保っている。近年、このような背景から離職の防止や新規職員の獲得を目指して、有料老人ホームを運営する大手企業[iii]が人事制度の充実、福利厚生の強化を打ち出し、待遇を充実させることで魅力をつけ始めている。一方で相対的に社会福祉法人が運営する特別養護老人ホームは人材確保という点で苦境に立たされ、特にリリー園のようないまだに風評被害で苦しんでいる福島にある介護施設は、さらに厳しい状況だと思う。このような現状で経営の立て直しは困難だが、リリー園を必要としている地域の方々のためにもなんとか持ち直してほしいと願うばかりである。今後、さまざまな支援が園に届くことを期待している。
震災から六年が経ち、メディアの関心が離れ、人々の記憶からも薄れ始めている中で、被災地を訪れて復興に携わる方のお話を伺うことは、東京ではあまり報道されない事実を知ることができる良い機会になった。これからも時間があれば被災地に赴き、復興の進捗を見守りつつ、自分ができることを考えたいと思う。最後に、今回の合宿でたくさんの方々に貴重なお時間を割いて対応していただき、この場で感謝を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
※
[i] そもそも損害賠償金の性質は経営に対する補償と財物に対する補償の二つに分かれる。社会福祉法人はその性質から経営利益の損失を理由とした損害補償は難しく、現状は施設に対する損害補償金のみを受け取っている。ADR(裁判外紛争処理手続き)による請求も検討されたということだが、職員の負担をこれ以上増やすことはできないことから断念したという。
[ii] このレポートを執筆中の平成29年7月1日、安倍総理大臣が福島県飯舘村の特別養護老人ホームを訪問した際に、就職準備金の制度改善の考えを示した。(読売新聞 平成29年7月2日 日曜日 4面 「福島の介護人材不足解消目指す」)
[iii] 日本経済新聞 2017年6月17日 「介護の担い手 制度で確保」
3年 三宅亮
【2日目】
NPO法人Jin
合宿2日目の6月17日、福島県浪江町のNPO法人Jinさんを訪問しました。
1.講演(川村さん)
若い人に来てもらう
・浪江町に愛着がある人が戻ってきたくても戻ってこられない(医療・介護の面で)
・バランスを崩すと町も病気に…若い人→結婚→子どもという循環を
・資源のなくなった町に戻り、新しいものをつくっていくという選択
↳人がいなくても成り立つ第1・2次産業→農業を始めた
若い人に農業をやってもらうには?-法人化(定時,週休2日制など)
・まちづくりという職業はない…普段は花の栽培で成功し、折に触れ復興の思い語る
・1人で花を作って1千万円売り上げて若い人に伝えていく
クオリティの高い花の産地になって盛り上げる
制度に頼らない支えあい
・サポートセンター:利用者に稼いでもらう→働き方の1つ
⇒思いを形にする・行動しなければ意味がない
2.鼎談(川村さん,橋本さん,吉田)
(敬称略)
なぜ浪江町で活動しようと思ったか?
吉田:これからいくらでも良くしていける,自分のやったことが残る
学生の存在とは?
川村:若い人から柔軟な発想を勉強し、それを形にしていく
自分だったら何ができるだろうという小さなことの集合が大きなエネルギーに
小さなこととはどんなことか?
吉田:ふと思いついたことを手帳に書き残し、それが役に立つことがある
橋本:浪江町での田植え・稲刈りのときに学生から「住民の声が聴きたい」と
都会から学生が来て手伝ってくれることが農家のエネルギーに
→「自分のやっていることが正しいのか」という不安の払拭につながる
二本松を選ぶということに不安もあったが支援者の後押しがあった
川村:学生は、アルバイトをしながら実際に暮らしてみる「借り暮らし」を計画している
最後に共有したい言葉はあるか?
吉田:マイナスのイメージを残さないように
橋本:浪江町のサポーターになってください
川村:避難指示が解除されるまでの6年が考える期間で、今は復興のために動いている意識はなく、特別でない普通の生活があるだけ
もう1度、浪江町がどう変わっていくかを見にきてほしい
3.まとめ
講演、鼎談を通して、町に徐々にでも人が戻るようにしていくためには、やはり若い人が戻ってきやすい、住んでみようと思う環境づくりが重要であるということを再認識した。話の中で特に印象に残っているのは、避難指示解除までの6年間を「失われた時間」ではなく準備期間とポジティブにとらえていることだ。これまで、町のことを一心に考え、出来ることを実行に移してきたからこその心境であると感じた。
正直なところ、被災地の復興の現状に関しては、訪れてみるまでプラスのイメージは湧かなかった。しかし、他の地域でも災害が次々と起こり、東日本大震災関連の報道が少なくなり、足を運ばなければ正確に現状を把握しにくくなっている今、一部ではありながらも被災地を実際に自分の目で見て、住んでいる方に話を聞くということに意味があると思った。
私の地元も大震災に見舞われると言われ続けて久しい。原発もある。この先、町から人がいなくなるようなことが十分に起こりうる。他の被災地に関しても同じことが言える。そうしたときに、この町の復興に向けた歩みから学ぶことは多いかもしれない。
最後になりましたが、川村さん、菅野さん、橋本さんをはじめ、お忙しい中ワークショップにご協力くださった皆様に心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。
3年 古澤健