平成29年11月9日

 

 

糸賀さんのご子息が、以前交際していた女性に殺害されてしまった、という悲しい事件を通してご自身の感じたこと、法律では救われない犯罪被害者の現状について語っていただきました。

糸賀さんは事件後、しばらくは息子さんが死んでしまったことも実感することができず、また、近くに住んでいながら息子さんの置かれている状況に気づけなかった自分自身を責め、悲しみに苛まれる日々だったといいます。そんな中行われた当時の裁判は、加害者の量刑を決めるのみであり、それもたったの求刑13年。意見陳述では、加害者は「死んでお詫びします」と繰り返すだけで、裁判が終わるとすぐに、息子の親である糸賀さんと目すら合わせず逃げるように帰っていったそうです。それにもかかわらず、反省をしていると判断され、若年である等の事情から1年減刑であったといいます。加害者と同じ年であった息子は、加害者によってその後の人生を閉ざされたのに、生きている人間は更生の余地があるからといって重く扱われるのか、殺人事件の裁判とはこんなにも簡単なものなのか。なぜ加害者の両親から息子さんにも原因があったのではないか、自分たちも加害者の両親としてマスコミに晒されて辛いのだ、というような心無い振る舞いを受けなければならないのか。そんなやるせない気持ちになったそうです。刑務所での服役が終わったからといって罪を償い終わったわけではないのだから、ずっと償いの気持ちを抱いて生きていってほしいのだと、糸賀さんは訴えておりました。

また、事件によってPTSDを発症してしまった被害者の家族が、裁判中に加害者に暴言を吐かれて自殺してしまうという出来事がかつてあったそうです。現実の裁判とは、生きている加害者の人権を守るための裁判であり、被害者の遺族にとっては二次被害でもあるのだという、糸賀さんの言葉がひどく衝撃的でした。

私は、法学部で3年間法律をかじってきて、判決の理論といった学説や判断基準を学んで理解したような気持ちになっていました。しかし、お恥ずかしながら裁判そのものが被害者の遺族を二重に苦しめているのだという視点で考えたことはありませんでした。

遺族にとっては、被害者が亡くなってしまった事実は決して変わることなく、悲しみを忘れることはないのでしょう。糸賀さんも、悲しみを支えてくれる自助グループの存在があってはじめて、前向きに生きていけるようになったとおっしゃっています。

公にはならない、内なる悲しみを抱える人たちをいかに支えるか。これは社会保障のあるべき姿を考えるうえでも大切なことなのだと、講演を通して感じました。

最後にはなりますが、お忙しい中、私たちのために貴重なお話をしていただけましたこと感謝申し上げます。糸賀様、佐藤様、本当にありがとうございました。

 

3年 池浦智美