令和6年6月25日

 

感想

3年 伊東美和

 

合宿の最後は、NPO法人 Jinの前代表を務められた川村博様にお話を伺いました。

 

地域復興に継続的に取り組まれ、農業の新たな可能性を広められている川村様の貴重なお話をお聞きするとともに、実際のハウスも見学させていただきました。

 

まず、川村様が震災当時行われていたデイサービス・リハビリ事業との関連で、避難先でのサポートセンターの設置に中心となって取り組まれたことを知りました。中越地震での経験を活かし、東日本大震災の発災後、浪江町でも3ヶ所のセンターが開かれ、介護に限らず子供の預かり等、全ての人を対象とした支援がなされたということです。

その後は福島県社会福祉協議会からの依頼を受け、避難先の入居施設での実態調査に取り組まれました。特別養護老人ホームや障がい者施設等、様々な施設に足を運び、経営的な厳しさや支援者不足など、それぞれの問題が生じていることを目の当たりにした、とのお話をお聞きしました。このことを受け、災害により人や物資が大きな打撃を受ける中、要介護・要支援の方の生活をどのように支えていくのか、現実で起こる課題を危機感を持って考えさせられました。

 

そして、浪江町が原発事故の大きな影響を受けた土地であるからこそ、避難指示解除準備区域となされたのち、川村様が独自に取り組まれてきた活動について教えていただきました。避難指示により住民の疎開を経験した町で、川村様が第一に取り組むべきと考えられたのは、もう一度住民を呼び戻し町に活気を取り戻すということでした。情報発信のためにも、先駆的に野菜の栽培に取り組まれ、地道に土地の安全性を示されてきた川村様の勇気と根気強さは、決して真似できるものではないと感じました。

そうした中でも野菜の出荷には制限があり、県との協力のもと、移行されたのが花弁栽培でした。さらに高い技術を身につけるため、川村様自ら花弁栽培の第一人者である方を訪ね、長野県に1年半ほど通われたそうです。川村様の育てられた花弁、特にトルコギキョウが市場でも高い評価を受けるようになり、次に目標に掲げられた事があります。それは、トルコギキョウを東京オリンピックのビクトリーブーケとして使ってもらうこと、でした。福島だけでなく、宮城、岩手という被災地で栽培された花から成るブーケを通して、世界中の人に「お陰様でここまで復興が進みました」ということを伝えたい、とおっしゃっていた事が何よりも強く印象に残っています。そして、出荷制限等の困難に直面しながらもたどり着いた花弁栽培という領域で、ビクトリーブーケをはじめ様々な場面で多くの人の喜びを生み出していることは、川村様の地域復興にかける熱い想いの賜物のように感じました。

 

最後に、川村様はご自身が実際にその土地で農業を行い足場を固めることが復興支援の第一歩である、との考えのもと活動に取り組まれてきたということです。支援をする人・される人の関係に留まらず、ともに地域の未来を創っていく。そんな気持ちが情熱として多くの人の心を揺さぶるものになることを、お話を通じて実感しました。川村様、貴重な機会を本当にありがとうございました。