「ボランティアを考える」

令和6年11月21日

菊池ゼミ 3年 西上雄星

 

本日はYNFの代表を務めていらっしゃる江崎太郎様にご講演をいただきました。YNFは2017年の九州北部豪雨の災害支援をきっかけに設立された、「在宅被災世帯」を中心に支援活動を行う団体であります。学生の中には多かれ少なかれすでに被災と何らかの関わりがある者がおり、加えて江崎様は早稲田大学法学部卒という私たちの直接の先輩ということで、ゼミ生みなが考えさせられ、特に進路選択に直面している三年、セカンドキャリアまで見据えている四年には非常にありがたい機会となりました。

 

講演の中ではまず被災地の現状について、避難所、住宅の被害、災害関連死の観点から説明を受けました。もちろん各種報道等において見聞きしたことはあったはずなのですが、実際に被災地で活動されている方から具体的に語られる話はまだまだ災害への対応が不十分であること、災害において何が課題となるのかをまざまざとわからされました。その後、実際の活動の紹介とその活動から見えてきた制度上の問題点について教わりました。YNFはすべての被災世帯を何度も訪問しそれぞれの需要に合わせた支援を展開しています。この積極的な姿勢が非常に特徴的です。行政の制度上の問題は主に三つで、申請主義である点、長期的な支援ができない点、被害と制度の不一致を上げていました。申請主義とは申請して初めて制度の適用を受けるというものであり、申請のことを知らない被災者が多く制度から取り残されてしまうようです。長期的な支援については、連携不足もありある制度が終了すると次の支援につなげられないまま放置されてしまうということです。被害と制度の不一致についてはそもそも同一被害でも地域によって制度の対象外となってしまったり、被害を細分化するとかえって制度が複雑になって利用しにくくなったりということが起こるようです。

 

私が講演を聞いて考えたことは「ボランティア」という言葉のつかい方を考えていかなければならないということです。講演を聞いて被災から生活を再建するには中長期的視点を持つべきだと感じましたが多くの人は短期的な視点しかもっていないのではないでしょうか。その原因の一端が「ボランティア」という言葉にあると思うのです。確かに災害時にはいかに自己の生命を守り、直後の混乱した状況を無事に過ごすのかが最重要です。また災害から時が流れるにつれて報道が少なくなるので仕方ない部分はあると思います。しかし「ボランティア」という言葉の意味するところを明確にすることで皆の意識が変わる部分もあると思います。多くの人は「ボランティア」という言葉を民間人が自発的に行う活動だと思っているとおもいます。ここで注意すべきは民間人という活動主体の特性上その多くは短期的な活動であり、自発的活動というところから、なんとなく良いことであると思ってしまう点です。YNFのように短期的活動に加えて中長期的な支援活動を行っている民間団体もあり、本来それらはNPOとして短期的活動をするボランティアとは区別されるべきですが、どうしても民間人という活動主体にとらわれて「ボランティア」とひとくくりに考えると思います。これにより時間軸に意識が向けられにくくなっています。また、1995年の阪神・淡路大震災をボランティア元年と称し、今に至るまでボランティアが増えたことが評価されてきました。講演の中でもボランティアの重要性や依然としてボランティア不足である点は述べられていましたが、ボランティアに対して良いことというイメージがついていることにより、その数が増えたことを喜ぶことで終わっているのではないでしょうか。よく考えると短期的活動が充実したにすぎず、中長期的な部分が改善されたわけではないのです。

 

被災者支援は中長期的な視点を持ち、その点では住宅が肝心であるというのが特に学びになった点です。ボランティア人口が増加し被災者支援は良い方向に進んでいると安心しきっていましたが、確かに進歩している部分はあるものの近年の災害被害の深刻化に比べればその歩みは非常に遅いことを痛感しました。最後になりますが、能登での活動でお忙しい中ご講演くださいました江崎太郎様には心より感謝申し上げます。ありがとうございました。